Story of Challenge~SAGA2024全障スポチームの軌跡~

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「Story of Challenge~SAGA2024全障スポチームの軌跡~」

フットソフトボール佐賀県代表チームのインタビュー

SAGA2024全障スポ「佐賀県選手たちの輝き」

SAGA2024全障スポ佐賀県選手団の振り返り

SAGA2024佐賀県選手団結団式「ALL SAGA みんなで行こう!SAGA2024」

SAGA2024全障スポ佐賀県選手団解団式「みんながくれた “ありがとう”」【準備中】

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SAGA2024全障スポ佐賀県選手団~エンドロール~

振り返り【準備中】

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INTERVIEWインタビュー

Story of Challenge

SAGA2024への出場を目指してチームづくりを
1から任された監督の全国への挑戦。
そこに立つ者しか見ることができない景色と新たに
芽生えた決意とは、、、。

自分たちで考えて
自然にコミュニケーションが
取れるようになった

繋がった想い
繋がった想い

フットソフトボール 監督

松田佳久さん

●まつだ・よしひさ

ろう学校の寄宿舎指導員として勤務。大学在学中にパラスポーツ指導員の資格を取得。佐賀県障がい者スポーツ指導者協議会の一員として、県内のパラスポーツの活動・普及に携わる。約10年前からフットソフトボールの指導者に。SAGA2024全障スポでは佐賀県代表チームの監督に就任。

Q1

佐賀県代表チームの構成は?

16歳の高等部の生徒から27歳の社会人まで幅広い年齢層です。
対象の障がいは知的障がいです。

Q2

SAGA2024に向けて、どのようにしてチームを結成されましたか?

SAGA2024の開催が決まった段階で、県主催の体験教室を特別支援学校などで開いて募集をかけましたが、最初はなかなか集まりませんでした。一人、二人とか、そういうふうな状態から始まりました。参加した選手が他の人に声をかけてくれて、二人、三人に増えていきました。
あとは保護者さん同士で呼びかけてもらって、だんだん広がっていった印象です。SAGA2024全障スポでは、開催県の佐賀は予選なしで本選に出場できたので、必ず全国大会に出られるというのはモチベーションになったと思います。

Q3

フットソフトボールの佐賀県代表チーム監督を任された時、県内のフットソフトボールの認知度はどうでしたか?

フットソフトボールっていう競技名だけでは、一般の方はピンとこないですよね。以前はフットベースボールって言ってましたが、それでも「何それ?」ぐらいの反応でした。だからこちらも、小学校の昼休みとかにしたようなボールを転がして蹴ったら、野球みたいに塁を回るキックベースみたいな感じだと説明します。自分自身も、そのぐらいの知識しか最初はありませんでした。実際、SAGA2024全障スポに佐賀県チームとしてフットソフトボールへの参加が決まったとき、勉強するために熊本まで話しを聞きに行きました。実は、九州の熊本県がフットソフトボール発祥の地で、指導者の方もいらっしゃいます。私は教える側になるので、しっかりとした知識を持っていないといけないので、熊本で経験のある方に教えてもらうなど、勉強はいろんな形でさせてもらっています。

Q4

チーム競技なのでルールを教えるのが難しかったと思いますが、どのように指導されましたか?

野球やソフトボールをやっていれば、すんなり入っていくでしょうけど、知らない選手がほとんどで「こういうプレーをタッチアップっていうんだよ」とか、一から教えないといけませんでした。一回だけでは覚えられないし、練習でできたから次もできるとは限らない。完全に覚えられるまで、とにかく繰り返し繰り返しやりました。覚えるまでに時間がかかるのは知的障がいの特性でもあるので、丁寧に時間をかけて一つ一つのプレーを確認しながら覚えていきました。プレーが自然にできるようになったのを見た時、「上手くなってきたな」「上達したのはすごいな」っていう気持ちにさせてくれましたね。

Q5

チーム競技ということで、選手同士の関わりはどうでしたか?

上手い子もいれば、慣れていない子もいます。だからといって他の子に教えるようなことはないと思っていましたが、「今のはこうだよ」とか自然に教えるような感じで、ミスをしたら「次ね」と声をかける場面もありました。練習や試合を重ねることで意識というか、そういう気持ちが芽生えてきたのかもしれません。私たちが考えている以上に選手たちの団結力を感じました。

Q6

SAGA2024では、一回戦の相手が強豪の東京都。どんな気持ちで臨んだのでしょうか?

(※東京との1回戦は0-22で完敗。その後、東京は決勝まで進出し、優勝)

東京はもともと強く、優勝候補だと分かっていたので、組み合わせを見た時は「うわっ」と思いました。でも、やるからには全力で、少しでも食い下がれないか、何とか接戦に持ち込めないかと考えていました。全国大会までの他県との練習試合でも点差がつくことはあり、常に「1点でも取ろう!」という気持ちで戦ってきたので、東京が相手でも最後の最後まで諦めずにプレーをやってくれたんだと思います。
諦めても仕方がないくらいの点数でしたが、最後まで諦めずにやってくれたのは指導者たちもとても嬉しかったです。

Q7

敗者同士で行う交流戦では愛媛県と対戦。
大会での2試合目は、どんな試合展開だったのでしょうか?

(※愛媛県との交流戦7-24)

愛媛とは負けたチーム同士の対戦だったので、勝てるチャンスが東京よりはあるんじゃないかと少し期待をしてました。しかし、全国大会に出るために地区予選を勝ち抜いたチームは、やっぱり強かった。10点以上も点を入れられてしまい、負けが濃厚になってきて「せめて1点だけでも」と思っていたら、その気持ちが選手たちに伝わったのか、4回に3点、最終回の5回では4点を取ってくれました。選手一人ひとりがつないで取った点数は、本当にすごく嬉しくて感動しました。ベンチや応援席からの声援もすごく印象深かったです。結局負けてしまったけれど、素晴らしい試合をしてくれたと思っています。佐賀県チームとして、フットソフトボールの全国大会に爪痕を残せたんじゃないかと思っています。

Q8

選手たちが以前とは変わったところはありますか?

ここ最近だと、夕方仕事終わった後にランニングを始めた選手もいました。SAGA2024全障スポが終わった後でも頑張ろうとか、やる気を持ってくれてるのでそこに応えたい。私も頑張らないといけないっていう気持ちにさせてくれます。

Q9

選手たちにとって、フットソフトボールがどんな存在であればいいと思いますか?

私は特別支援学校に勤めていますが、子どもたちの卒業後の生活はどうしても仕事と家庭との往復だけになってしまいがちです。週末は家に閉じこもっているという話を保護者さんであったり、学校関係の方から結構聞きます。仕事と家庭の往復だけじゃなくて、それ以外の活力といいますか、楽しみや趣味など別の活動・コミュニティがあれば、きっと仕事も頑張れるはずです。週末のフットソフトボールの練習会に参加することで、翌週もまた仕事を頑張ろうとか、そういう前向きな気持ちになってくれればすごくいいなと思います。

Q10

プレーの用語を教えることから始まったチームですが、監督にとって、フットソトボールのチームとはどんな存在ですか?

選手たちにも感じてほしいと願うのと同じで、私にとってもフットソフトボールが活力になっていて、本当にやりがいのある、すごく楽しい活動です。

Q11

選手の保護者さんたちはどんな関わり方をされているのでしょうか?

練習のときは毎回送迎をしていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。選手だけでなく保護者さんも、日常生活のコミュニティとは違う、一歩別の世界を楽しんでいる感じでした。選手たちは幅広い年齢層なので、本来なら関わることのなかった保護者さん同士が交流する様子もよく見られました。例えば、学生の保護者さんが社会人の保護者さんに、「卒業後の生活ってどんな感じなの?」など質問することもあるようです。いつもとは違うコミュニティとの交流を、楽しみに参加されている保護者さんも多いのではないでしょうか。もう一つ感じたのは、みなさん自分の子どもだけでなく、チーム全体を見ていて「(チームとして)すごく上手になりましたね」など、言っていただけるのも嬉しかったです。

Q12

大会を通じて、チームとしての変化を感じた瞬間はありますか?

SAGA2024全障スポリハーサル大会(九州地区予選会)の時、試合中にプレーが切れた時などに、選手たちが内野に集まって話をしたり、外野は外野で集まって話をしたりしている光景を見た瞬間は成長を感じましたね。私たち指導者からの指示を待たずにだったので、自分たちで考えて自然にコミュニケーションが取れるようになったことに、本当に成長を感じました。

Q13

SAGA2024の後、チームはどのように活動していくのでしょうか。これからの目標を教えてください。

全国大会は本当に素晴らしい舞台でした。もう一回出てみたいなって思いましたし、多分選手たちも同じ気持ちだと思います。そのためには、九州地区予選会を勝ち上がらないといけないので、すごく大きな壁だと思うし、簡単にはいかないと思います。それでも挑戦していきたいし、その結果が全国大会につながっていけばいいなと思っています。そして、今回は全国障害者スポーツ大会を通してフットソフトボールをたくさんの方に知って、関わっていただきましたが、もっと多くの人に「フットソフトボールをやってみたい!」と思ってもらえるように、どんどん裾野を広げてみんなで盛り上げていきたいです。

INTERVIEW座談会

ソフトボールで広がった可能性

2024年10月、全国障害者スポーツ大会に初めて出場した
佐賀県フットソフトボールチーム。
SAGA2024への出場を目指して結成され、フットソフトボールと出会い成長した選手たち。
その姿を見守る保護者4人の座談会。
わが子を見守る親の思いを聞いてみました。

座談会

左より

  • 本村 碧選手:母本村 祐美さん
  • 山本昊弥選手:母山本 稚絵さん
  • 田中美樹選手:母田中美代子さん
  • 西山凜汰朗選手:母西山 みきさん
Q1

お子さんがフットソフトボールを始めたきっかけは、それぞれ何ですか?

(西山) うちは最初サッカーの体験教室に行ってたんだけど、他の子が上手すぎてもう無理かなって思ってた時に、夫が県のホームページでフットソフトの体験教室を見つけて、行ってみたのがきっかけ。
(田中) うちは最初バレーをしてたけど合わんかった。ただ、体がでっかいけんなんかさせたいと思ってたら、タイミングよく学校の先生にフットソフトの体験教室を紹介してもらった。
(山本) うちもずっとスポーツしてたけん、佐賀で全障スポあるって知って、どこかに入ってほしくてソフトボールとか行ったけどレベルが違ってた。たまたま唐津でフットソフトの体験教室があるって知って、行ったのが初めてだった。唐津以外での練習は全然行けてなかったけど、「県代表選手を集めます」って頻繁に県からお便りをもらって、うちの昊弥でいいんだったら、役に立てるんだったらって定期的に参加するようになった。
(本村) うちは中学入るときに、「部活がしたい」って言ってたんだけど、特別支援学校に部活はないやん。だから子どもに「部活は特別支援学校ではできないもんねー」って言ってて、そのことを先生に伝えたら、「体験会がいろいろあっているから行きませんか?」って案内のプリントをもらって、ソフトボールやバスケットに行ったりしてた。その中にフットベースボール(当時)があって、小学校の昼休みにキックベースボールはよくやってたから、「これならできるっちゃない」って行ったのがきっかけ。
Q2

チームに入ってよかったと思うところは?

(田中) 一番は、チームの雰囲気。
(山本) 子どもが楽しそうにしている。
(三人) そうそうそう!
(田中) 自分から「行きたい!」って言ってくれるけん、親として送迎するのも苦じゃない。
(本村) 子どもから「次はいつあると?」って聞いてくる感じ。
(三人) そうそうそう!
(山本) あと、どんどん上手くなって、子どもたちが成長しているのを見られるのがすごい感動します。
(三人) そうそうそう!
Q3

どんなときに成長を感じましたか?

(西山) とにかく最初はアウトが取れなかったよね。
(本村) みんなピッチャーに返して終わり。アウトは絶対フライでしか取れなかった。
(西山) それがちゃんと一塁に投げて、アウトが取れるようになってね。
(山本) それが分かって、できるようになったんだろうね。
(田中) 最初はルールすらわかってなかったよね?
(三人) わかってない、わかってない。
(本村) 今も微妙だと思いますけど。
(一同) (爆笑)
(田中) でも、だんだんと試合慣れして、練習もいっぱいして、みんなでお互い声を出し合ってね。一人ひとりが周りをちゃんと見れるようになっていった。
(三人) そうそうそう。
(山本) うちの子は喋れないし、ちょっと聞こえづらかったりするけど、ちゃんと名前を呼んでくれて、聞こえるように言ってくれてた。
(田中) それも、親が「言わんばよー」じゃなくて、自ら率先して言ってた。
(西山) 誰かが気づいてくれてね。
(山本) そういうのが、すっごい嬉しい。
(本村) 社会人の子たちがすごい優しいなって。面倒見てくれてるっていうか。
(山本) それぞれへの声のかけ方がちゃんと分かってた。
(西山) この子にはこういう声かけがいいってね。
(本村) 誰かの失敗を責めるようなこともないよね。「良かったよ」とか「頑張ろう」とか、そういう声かけをしている。
(田中) 責めないんだけど、「ここはこうした方がいいよ」、「もうちょっとカバーに入ろう」とかは言いよっとよね。だからすごくいい関係だと思う。
(山本) 自分からも「ごめんね。取れんで」みたいなことを、ちゃんと伝えてる。
(本村) それを聞いた周りも「いいよ、いいよ」みたいな感じ。
(山本) みんなすごいなって思う。
(田中) 見よってすごい可愛いって思って。
(本村) こっちが勉強せんといかんね。
Q4

お子さんたちの成長(変化)を感じられたのはどのあたりから?

(山本) 試合を重ねるごとよね。最初はよそよそしい感じだったけど、泊まりの遠征行ったあたりかな。
(本村) それが一番かも。最初はチームメイトの名前すら分からなくてね。それぞれの名前が分かるようになってきたくらいからかな。
(西山) 最初は名前を書いたテープを腕に貼ってたよね。名前が呼べんやったら、ボールを投げるときに声も出せんよねっていう話になって。松田監督のサポートのおかげで、名前を呼び合えるようになって、そこから試合に出て、泊まったりとかしたら仲良くなってきた。
(田中) とにかく試合や泊まりを楽しみにしてて、「行きたい!早く行きたい!」「次の大会いつ?」「次の泊まりいつ?」ってね。
Q5

宿泊を伴う遠征もありますよね。
それはお子さんたちにとってどんな影響がありましたか?

(山本) うちは、泊まるのは大丈夫だろうけど、周りとのコミュニケーションがどうかなと思ってた。うちの子が声をかけれる子と一緒だったから、多分コーチが上手く取り持ってくれたんだと思う。
(田中) 部屋割りは考えてくれたんじゃないかな。
(本村) うちは、Wi-Fiの繋ぎ方を同室の上の子に教えてもらって、フットソフト以外の場面で助けられたことが、仲良くなるきっかけにつながったみたい。
(山本) 日頃は練習するだけの時間しかないから、遠征に行って練習以外の時間を一緒に過ごせるのがよかったのかなと。
(本村) 「この人はこういうことを知っている」とか、「ああいうゲームをやっている」とか、フットソフト以外の絡みでリスペクトする部分が変わってくる。びっくりしたのは、鹿児島県の選手や熊本県の選手とLINEしてたのが一番衝撃だった。
(田中) うちもそうだった!
(本村) フットソフトをしてなかったら、県外に友達なんてできなかった。県内でも友達作るの難しいのにね。出会いがどんどん広がっていったのが、いろんな成長につながっているのかな。
(山本) 親元を離れてね。
(西山) いつの間にかね。
Q6

家での変化を感じたことはありますか?

(西山) うちは凜汰朗が一番上で、下の子達から見ると「凜くんはどうせできん」みたいなことが多かったんですけど、SAGA2024にキャプテンとして出場することになって「凜くんが??!」って驚いてた。お兄ちゃんが頑張っていることに影響されて、自分もサッカーの選抜に選ばれたいとか思うようになって、下の子にとっても良かったなって思います。
(本村) 「お兄ちゃんすごい!」になったんだね。
(田中) うちは一人っ子やけん、練習に行けば下の子も上の子もいるから、家では見られない美樹の姿が見られるかな。
(本村) うちは、フットソフトがある前の日は早めに寝て、タイムスケジュールを作れるようになった。それがなかったら昼夜逆転になってしまいそうだけど、いい感じに生活ができている。
(山本) うちは、何かすごい自信が出てきて、「SAGA2024に出る、俺」ってなっとらす。
(一同) (爆笑)
(山本) 練習の前の日から準備をちゃんとするし、朝も自分の部屋から起きてくる時にはもう全部着替えて、荷物も持ってくる。成長だなって。
(三人) 成長だよぉ。
(田中) だって今までしよらんかったっちゃろ?
(山本) そう。だから嬉しそうなのが一番かなぁ。
(本村) 嬉しそうなのが一番いいよね。楽しくしてもらうのがね。
(田中) 本当に好きでやっている。それが本当一番と思う。ありがたいと思う。
Q7

保護者の皆さんにとって、SAGA2024はどんなものでしたか?

(西山) 盲学校で開催された体験教室に初めて参加したとき、県の担当者さんから「全障スポに向けてのチーム作りをするための体験会なんです」みたいに言われて、「え、代表!?」って驚きました。こっちは土日の余暇を探すために来てただけなのに。
(本村) 私もSAGA2024とか頭になくて、部活というか運動をしたり体力づくりのために行ってた感じ。だからそういう話をちらっと聞いて、出れるなら出たいけど、じゃあどこでどういう競技だったら出れるんだろうみたいな。フットソフトは選手の数が少なかったから、チームが作れるの!?って。出れるの?って(笑)。みんな集まってきてくれたから出れるようになったけど、SAGA2024が私達の何だったのかと言われると、『目標』。目標にだんだん変わっていったのかな。
(田中) 最初、全く実感がなかった。ただ運動をさせたいだけだったけど、SAGA2024のPRが始まって、選手にも選ばれて。「本当に佐賀県代表になったと?!」みたいな感じはすごくあったよね。
(本村) 出れるなら出してあげたかったから、送迎も一生懸命頑張った!
(田中) うちらはサポートで、できることはやろうという感じだったね。まあ、喋りに行きよるごたあもんやったけど(笑)。
(西山) 応援楽しかった!
(山本) 我が子が県代表になってる親(自慢げに)。
(田中) めっちゃ自慢したよ、うちの子ども佐賀県代表って。
(全員) 嬉しかったよねー!!
(山本) 選手に選ばれましたっていう書面が送られた時、何度も見たし、泣きそうになった。旦那にもすぐ写真撮って送って、あの手紙ちゃんと取ってるよ。
(本村) だって普通に生活してたら、県代表とか選ばれることないから。
(田中) 人数も結構集まってきた中で選ばれたけん、「よくやった!」って親としても誇りに思う。
(田中) だから、選ばれなかった子たちの分も頑張んなきゃっていうのは教えましたね。他の試合もそうだけど、特にSAGA2024に関しては、選ばれなかった子も仲間だからねって言って、その子の分も頑張るんだよって。
(本村) だから美樹くんの東京とやって負けた時の悔し涙があったんだろうね。
(田中) いやーねー、びっくりした。正直泣くては思ってなかったね。
Q8

東京を相手に一回戦で負けて、悔し涙を流している選手みんなを見て、お母さんたちはどうでしたか?

(田中) いやぁ、悔しかった。
(山本) 泣きそうだった、いや、泣いた。そこまで頑張ってたんだなって。
(田中) 親が思った以上に、子どもたちはすごい気持ちがあったんだなと思いました。
(山本) いやぁ、勝たせてやりたかった。一点だけでもってね。
Q9

SAGA2024が終わっても、チームは続くことになりましたね。

(本村) 終わった後も、チームとして監督さんたちがやってくれるか不安やったよね。
(西山) 続けてほしいけど、それを言っていいのかとか。
(山本) 保護者だけではできない。
(田中) 先生たちのスケジュールとかもあるしね。
(山本) 親にも送迎の負担はあるけど、監督さんとかコーチの負担を考えると「してください」って言っていいのか…。
(田中) でも、子どもたちは続けたいとはっきり言ったので。
(本村) 続いていくもんって。
(三人) そうそうそう。
(田中) 熊本に勝つ、鹿児島に勝つ、東京に勝つって、すごい目標ができている。もしも先生たちが「じゃあもう終わりましょう」「もうここで、一旦切りましょう」って言っても子どもたちは多分反発するんじゃないかなって。「えー、やらないのっ!?」って。親も「やらないんすかー」って(笑)。
(山本) 続けてもらってありがたいですよね。ボランティアですもんね。
(本村) 私たちができることはするよね。
Q10

もしも、フットソフトボールがなかったらどうなってたと思いますか?

(山本) 唐津でくすぶってると思います(笑)。
(田中) 山内でも(笑)。
(山本) でも碧くん、いろいろスポーツできるし、水泳とか。
(本村) うちは水泳をやってただろうけど、そんな頻繁にあるわけじゃないから、結局練習がない日は廃人のようにゲームとYouTubeをみて、土日をつぶして無駄な一生を過ごす形になってたかなって。水泳は個人競技だから、自分の目標に向かってそれぞれで練習をする。そこは団体競技と違うかなって。団体競技はチームワークというか、とくにうちはチームワークがいいと思うので、友達のつながりとかはフットソフトの方が大きい。
(田中) うちは、私がバレーをやってるんで、そこに連れて行くぐらいやろね。あとうちもゲームかYouTubeだと思う。
(西山) 障がいのある子どもが参加できるスポーツの情報を収集するのが難しい。
(山本) そうですね。うちもスポーツしてるけど今は一般のところでやっている。だから周りは健常者。陸上は障がいのある子もしてるけど、水泳は地元のスイミングスクール通ってて、年齢が上がれば上がるほど試合に出れなくなってくる。フットソフトがなかったら、この子のやる気をどうやって出せるんだろうって。
(田中) フットソフトボールがなかったらなんて、考えたこともないかな。生活の中の当たり前。ほんと一部。
座談会
Q11

障がいのあるお子さんの保護者さんに向けてメッセージを。

(山本) うちのは療育手帳の判定区分はAだけど、うちの子もできる!って伝えたい。
(田中) 分かる!障がい者だから何もできないっていうのは、親御さんが自分の中で決めつけているんじゃないかな。健常者、障がい者じゃなく、一人の人間やけんさ。うちは“障がいのある子のお母さん”になったけど、でも我が子たい。何であれ、子どもが興味を持ったことは頑張ろうって一緒に送り出す。それが一番いいんだと思う。
(山本) うちは4歳から健常者のスイミングスクールで水泳させてるけど、基本的にできる。その子の能力だけじゃなく、周りの人が助けてくれる。
(田中) そうそう。
(本村) 不安ならフットソフト始めればいい。
(田中) ね。ウエルカムでございます。
(本村) 誰か新しく入ってきても「誰かいるな」ぐらいで、その子を除け者にするわけでもないし。いつの間にか気が付いたらボール蹴って、みんなの輪に入っていそう。
(山本) そもそもが、一人二人って選手がだんだん増えて出来上がったチームだからね。
(本村) ここでスポーツの楽しさを覚えて、別のスポーツを始めても全然いい。いろんな人にいろんなスポーツをしてほしいです。
(山本) スポーツをやると自信がついてくる。将来は親元を巣立っていくし、社会に出る時も役立つはず。
(本村) いろんな年代の子たちと一緒になるから、私達も先輩のお母さん達から就職した後のこととかいろいろ聞ける。
(田中) いろんな学校のお母さんたちやけん、いろんな情報がもらえて心強いよね。
Q12

全国大会に出場したことは、子どもたちにどう影響したと思いますか?

(田中) 開催県とはいえ、佐賀県代表として出場して、東京とかと戦えたことで自信がついた。その一言です。
(三人) うんうん。
(山本) 佐賀県代表の水色のジャージを着て、すごい嬉しそうだった。
(本村) 嬉しいよね。
(田中) やっぱり佐賀県代表ならんと。あれは着れないから。
(山本) そうそう。すごい自信になったよね。
(田中) 自信っていう言葉しかないっちゃんね。
(山本) 新聞に載ったとき近所の人に、「すごいやん!佐賀県代表やん!」って声をかけてもらって、もうドヤ顔(笑)。
(田中) うちは、インスタに上げてもらって、ラジオにも出演させてもらってすごい自信。友達から言われて照れてはおったけど、「見てくれる?」とか言ってからさ。本当に全てにおいて自信がついた。
(山本) うちも近所の人から「全障スポに出るとか本当に嬉しいよ」って言ってもらって。SAGA2024が、それだけ知られていてすごいと思いました。
(田中) 親は自慢だよね。
(西山) うちは、ありがたいことに選手宣誓までさせてもらって、夫のお父さんが近所の人に言ったら、その近所の人が私のおばと友達で、一周まわってこっちに戻ってきた(笑)。ああ、みんな嬉しかったんだなって。

保護者のみなさんにとってフットソフトボールとは?

(本村) なくてはならないもので自信の源になっている。フットソフトをやったことで県の代表になって、その過程でこういった取材も受けさせてもらった。3年生なので就職するんだけど、フットソフトを通じて社会人の子たちと触れ合うこともできて、いろんな場面で自信が持てるようになった。
(山本) うちの子はうまくしゃべれないけど、昊弥の言葉でも「2024」っていうのはどこに行っても伝わる。学校や習い事に行っても、家にいても親戚のところに行っても、それだけで目が輝く話題かな。
(田中) なくてはならない存在ではありますね。多分このスポーツをしていなかったら、学校や学校関連の知り合い以外と出会うことはなかった。フットソフトを通して就職組と仲良くなって、いろんな方とお話もできて、彼にとっても楽しい場所。私も送迎を頑張ったおかげで、いろんな道を覚えました!
(一同) わはははは!
(田中) 行ったことないところまで一緒に行かせてもらって、ありがたいと思っています。お母さんにとっても成長。
(西山) うちにとっても、大事なものですね。それこそ皆さん言われたけど、自信もついたし、いろんな経験をさせてもらったし、友達もたくさんできた。それに夫や下の子も連れて行ってから、下の子はみんなに可愛がってもらった。試合が家族のイベントの一部になってたから、ちょっと続けてもらわないと困りますって感じです(笑)

ACHIEVEMENTSAGA2024の功績

みんなで挑んだSAGA2024全障スポ
みんなで挑んだSAGA2024全障スポ

みんなで目指したSAGA2024全障スポ。
2024年10月26日~28日の3日間、県内11市町で正式競技14競技が開催されました。

「一秒でも速く、一点でも多く、一つでもできることを」 そこには昨日の自分を超えたいと挑んだ
選手たちの努力がありました。
SAGA2024~すべての人に、スポーツのチカラを。~

SAGA2024 Topic3

振り返り トピック3

たくさんの感動を、ありがとう。

競技の振り返り

さあ、次は“キミ”の番だ!

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